まだ雪に覆われているけれど、

  モンゴルはもう春になりました。

  かならず季節はめぐりめぐり、

    いつか、また、いつものように…

 

ツァータンとは?

ツァータンとは、モンゴル語で「トナカイを持つ者」を意味します。モンゴル人が勝手に名付けた呼び方ということになりまして、当事者の中には、「俺たちは、ツァータンではない!」とこの呼び名に嫌悪感を持つ人たちもいます。

ツァータンと、今、呼ばれている人々が、どうしてツァータンと呼ばれるようになったかというと、ちょいとばかし、歴史についてお話をしなければなりません。私の過去の著作に詳しいことは書いてありますので、そちらをご覧ください。っていうのは、あまりよろしくないかと思いますので、簡単にではありますが、以下に解説します。

そもそも、ツァータンと呼ばれている人々は、モンゴル民族ではありません。モンゴルの書物の中には、モンゴル国内の様々な人々を解説したモノがありますが、ここでの分類のされかた自体に大きな問題があります。たとえば、民族というくくりで語られるべきカザフ民族が、モンゴル民族の下位集団のような羅列のされかたをしています。モンゴル民族の中には、ハルハ、チャハル、ブリヤート(ボリアド)、ウジムチン、オイラド、ドゥルベド、ザハチンなどなど(ここでは全部の名称をあげていません。「俺のはどうしたぁー!」って怒らないでくださいね。)、たくさんのモンゴル系集団というのが存在します。この集団は、すべてモンゴル語を集団の母語として、モンゴル民族の一部であることを自他共に認めています。
これら集団を、モンゴルでは“ヤスタン”と表現します。民族というのを“ウンデステン”と言いますので、“ウンデステン”>“ヤスタン”ということになります。

カザフ人たちは、カザフ民族ですので、“ヤスタン”に分類されるべきではなく、“ウンデステン”として、モンゴル民族と並列の位置に置かれなければなりません。ところが、カザフ民族をカザフ“ヤスタン”と位置づけています。

モンゴル“国民”の中の諸集団ということでしたら、まぁ、いいかと思われますが、カザフ人たちにしてみれば、「モンゴル民族の一部ではない!」と腹を立てるところです。カザフ民族の氏族の中には、モンゴル起源であることがはっきりとした氏族もあるので、彼らを特にいうのであれば、モンゴル民族の一つとも言えるのですが、カザフ人たちすべてを同様に扱うこと自体が、失礼というモノです。
余談ですが、モンゴル国のモンゴル人の中には、“国民”と“民族”をごっちゃにして理解している人が多いようで、これがまた、様々な混乱を生むようになっているようでもあります。

さて、話を“ツァータン”に戻します。

モンゴル国第二の規模を誇るカザフ民族をすら、このような扱いをしているわけですから、当然のように、“ツァータン”は、モンゴル民族の下の“ヤスタン”という扱いになっています。モンゴル人たちが勝手に名前をつけて、さらには、勝手に自分たちの一部として扱っているわけですから、そのように扱われる方にしてみれば、迷惑なことです。
モンゴルで1960年代に行われた民族学調査の結果として、彼らがトヴァ民族であると言うことは報告されているのですが、それが一般の人々の間には浸透していません。1990年代に入ってからも同じ研究者が書物の中でこの点には触れていますが、やはり殆どのモンゴル人が、“ツァータン”という民族がいると思っていたりしています。トナカイ飼育を行っているということで、ヤクート人だって書いている日本語刊行物もあり(著者はモンゴル人)、こういった誤情報が垂れ流しになってます。

では、“ツァータン”と呼ばれる人たちは何民族なのか?
トゥバ民族(トゥヴァ、トバ、トゥバ、トヴァなど様々に表記されています)です。
彼らは言語はテュルク系言語のトヴァ語を母語としていて、この言葉はモンゴル語系の言葉ではなく、カザフ語をはじめとするトルコ系言語です。
彼ら自身が自分たちを呼ぶときは、トヴァという他に、オリヤンハイとかオイガル、さらにはトファラルと言う人もいます。いずれにせよ、“モンゴルではない”ことには間違いありません。(オリヤンハイについてここで語るのはご勘弁ください。とんでもない量の文章が必要になるのです。いつか書き下ろすか、もしくは、詳しい論文、文献の紹介をします)

現在のモンゴル国北方タイガ地域はタンヌ・サヤン山脈が横たわっています。この地域をトジ(トージャ)地域と呼び、モンゴルが社会主義化する以前より、トゥバ人たちがトナカイを飼いながら狩猟採集生活を送っていました。
現在のモンゴル国の行政地域で言えば、フブスグル県のバヤンズルフ、オラーンオール、ツァガーンノール、リンチンスフンベ、ハンハなどの郡にまたがる地域を移動し、麓のモンゴル系集団ダルハドたちと交易を行っていました。

それが1932年にモンゴル人民共和国(当時)とトゥバ人民共和国(当時)の間で国境が制定され移動が制限されるようになり、モンゴル側にとり残されたトゥバ人たちが、現在、針葉樹林帯(タイガ)に暮らす人々のもととなりました。

社会主義モンゴルでは、遊牧民たちの家畜を国有とし、国民は皆、公務員として、国有財産の世話をし、給金をもらうというシステムでした。そこでは、多種家畜飼育より、単一家畜飼育することで合理化しようと馬飼い、羊飼い、牛飼いなどが作られ、職業としてそれら家畜飼育に携わる者が作られました。馬飼い=アドーチン、羊飼い=ホニチンなどという言葉で表され、トナカイ飼育に携わる者は“ツァーチン”と呼ばれるようになりました。~チンというのが職業名称を表しています。
ですから、モンゴル民族でも、トナカイ飼育を行っていれば職業名は“ツァーチン”ということになります。

特に1970年代に入ってからは、モンゴルで一般に言われる5畜にトナカイを第六番目の家畜として加え、大規模群によって飼育を行い、食肉利用しようという動きが始まりました。これは当時のソビエトで鹿肉コンビナートが出来るなどの動きにならったものでした。
トナカイ飼育の有用性が喧伝されるようになり、トナカイ飼育に携わる人々は、トナカイ飼育を完全に主生業とするようになりました。

これ以前、社会主義化する以前、タイガの中に暮らすトゥバ人たちは、狩猟採集漁労活動によって生活の糧を得ており、トナカイは輸送交通手段として使うことが第一義の目的と成っており、狩猟採集漁労活動>トナカイ飼育という図式でしたが、これがすっかりトナカイ飼育>狩猟採集漁労活動というようになりました。トナカイ飼育の方法も、移動パターンなども大きくかわり、モンゴル式草原家畜飼育方法の多くが導入されるに至ります。輸送交通手段としてトナカイを利用していた頃は、20頭前後の群を所有することが多かったのですが、社会主義時代には、草原家畜飼育が求める数を増やさねばならなくなったのです。

モンゴル社会主義の元、それ以前とは様々な点で変化を余儀なくされたトゥバ人たちは、1985年には、新しく出来たツァガーンノール郡にまとめられるに至りますが、このあたりから社会主義システム自体がうまくまわらなくなってきました。

そして、1990年末からの社会主義崩壊を迎えるのですが、このあたりから、“ツァーチン”という言葉より“ツァータン”という呼称の方が一般的になりはじめました。特に社会主義崩壊後は、職業としての“ツァーチン”という言葉は事実上、使われなくなったと言ってもいいでしょう。すっかり“ツァータン”となりました。
この言葉は、ツァー=トナカイ、タン=持つ者、という言葉です。トナカイを持つ人々という意味で、職業名でもなければ、そもそも民族集団名でもありません。
また、モンゴル人たちは、自分たちと異なる生活文化を持つ彼らを、特にその利用住居の形態などを根拠に、“原始時代の生活をする人々”であるとか、“文化的に遅れた貧しい者ども”というような解釈をし、新聞紙上などでおもしろおかしくかき立てるなど、“ツァータン”を差別的に扱うような場面も、社会主義崩壊後、1990年代後半まで見られました。
“aと見ればarkhi(酒)という言葉しか連想しない”であるとか、“近親婚が続いて知恵遅れが多い”とか、非常に差別的、侮辱的な扱いを受けた時代でもありました。とあるモンゴル人学者がタイガを訪れ、「ここらに、“ツァータン”とかいう原始人がいると聞いてきたけど、なんだ、普通の人じゃないか」と、とんでもない発言をしたとも伝えられています。

このような使われ方をする“ツァータン”という言葉ですが、この言葉は非常に曖昧に使われてきました。1900年代後半期の社会主義時代に、トナカイ飼育をやめて定住地生活を始めたトゥバ人、1980年代後半からトナカイ飼育を始めたトゥバ人、トゥバ人に養子に出されたモンゴル人、トゥバ人の嫁をもらったモンゴル人、彼らをひとまとめに、“ツァータン”と表現されてきました。「トナカイを持つ者」を意味するツァータンという言葉は、さらには、「トナカイを持っていた人」までも含め、非常にあいまいに使われ、そして、あたかもそういう集団があるかのようになってしまいました。

これが近年、特にビジターセンター「ツァーチン センター」がアメリカ人厚志家の援助によって出来てから、“ツァータン”と呼ばれることを嫌う人々が現れはじめました。「我々はトゥバ人であり、トナカイ飼育者である。」ということで、トナカイ飼育牧民を表す“ツァーチン”を名乗るようになっています。トナカイを飼育しない者を組織のメンバーから明確に区別する意味も持って使われているようです。民族を表さず、職業を表す“ツァーチン”という言葉によって、トゥバ人、モンゴル人、いずれであっても、“トナカイを飼育する者”をメンバーとして、ツァーチンセンターは運営されています。(2019年現在、実質活動は停止状態にあるようです)

しかし、「貴方は何人ですか?」と尋ねた時に、「ツァーチンです」とは応えません。だって、ツァーチンは職業名ですから。結局、「トゥバ人です」と民族名で応えることが多いです。が、彼らの多くが自分たち以外の人々、すなわち、「タイガを降りた麓から郡中心地にかけての低地部に住む人々」を“ゴリン フン”(川の人々)と呼び、自分たちを“タイギン フン”(タイガの人)と明確に区別して、自称する場面が増えました。

そして…最近の話なのですが、彼らの本当の民族名は「ドゥカ」であるとか、「ドゥハ」であるとかという話になってきたそうです。トゥバ共和国の中心地域に住んでいる集団と、トジ・サヤン山脈周辺に住んでいる集団が違うってことらしいんですが…。正直、私、まだちゃんとそのへんの主張を読んでいないのでわかりません。これから勉強します。でもですね…。トゥバもドゥカも、ドゥハも同じ民族を言っているんじゃないか?って私は思っています。
ま、いずれにしまして、このあたりは後日、お話ししたく思います。今現時点において(2022年)は、当事者たちが自らをトゥバと言っているので、トゥバとします。


こういった状況を踏まえた上で、ここ【タイガ情報局オスト】では、彼らを“タイガの人”と表記することにします。【タイガのことをお知らせする】ことが、ここ、【タイガ情報局オスト】の目的だからです。

少々、わきみちにそれながらのややこしい話でしたが、要するに

ツァータンは民族名ではない
ツァータンは自称ではなく、モンゴル人によってつけられた他称である
ツァーチンは職業名・主な生業に依拠した名称である
近年、ツァータンと呼ばれることを嫌う傾向にある
自分たちを、「タイギン フン」と自称する(民族としてではなく、他の人々と区別して呼ぶときに)傾向が見られる
現状では、ツァータン=トヴァでもないし、ツァータン=ツァーチンでもなく、もちろん、ツァータン=モンゴル民族の一部でもない

ということをご理解頂ければ、幸いです。